思春期でアナルを経験した男子高生
高校の時に親友に初めてを奪われた。
学校帰りに彼の部屋に行ったんですが、
彼の家は土建屋で若い職人達の寮としてアパートを持っていました。
そしてエロ動画を二人で見ていたら、
『勃起してるじゃん!フェラして抜いてあげるよ』と突然言い出し、
勃起している僕のチンコをズボンから引き出してしゃぶりついてきました。
突然の事でしかも好奇心も手伝い、されるままに初めてのフェラの刺激に友人の口の中にザーメンを放出してしまうと、
彼は僕のザーメンを一滴残らず飲み干しました。
すると『いつも兄貴と時々抜き合ってるんだ』と云いました。
兄貴と言うのは彼の親の経営する土建屋に勤めている30才位の職人でした。
時々、友人はその兄貴に勉強を見て貰っていたそうですが、いつの頃からか、
兄貴に手を出されて性欲の処理をしあう関係になったそうです。
そんな訳で慣れたフェラに抜いて貰う快感に、
毎日彼の勉強部屋に通うようになって一ヶ月位過ぎた時に、
『いつもフェラしてあげているんだから、たまには俺のもフェラしてくれよ』と
僕の顔に勃起したチンコを突き出してきました。
しかし、男のチンコを口に入れるなんて、僕にはどうしても出来ないと断ると、じゃあケツに入れさせてくれよ。
というので、しゃぶるのよりはマシだ。と云う気持ちと、
いつもフェラして貰っていた負い目から仕方なく承知すると、ハンドクリームを僕の肛門に塗り付け、
僕のチンコよりはるかにデカイチンコを押し付けてきました。
初めてなのにいきなりのデカチンコだったので、かなり痛かったのですが、
クリームを塗られた僕の肛門は一気に根元まで受け入れてしまいました。
それからは、毎日のようにノンケ同士で口とケツを使って、性欲処理をしあっていました。
三ヶ月位過ぎて18cm位ある友人のチンコを受け入れても痛みを感じなくなり、
快感さえ感じてしまうようになった頃、
『兄貴にもケツを使わせてあげなよ!兄貴のは俺よりかなり太くて、俺のケツには入れてあげられないけど、
お前のケツなら入るよ』と云われ、
ケツがチンコの味を覚え、
掘られる快感を知ってしまった俺は、
友人のデカチンコよりデカイ!と云う言葉に断れず、
兄貴が休みの日曜日に来いよ。
と言われて、デカチンコへの好奇心いっぱいで日曜日に友人の勉強部屋に出掛けました。
僕と友人の関係は、友人が全部話していたので筒抜けでした。
と云うより、
その兄貴に言われて友人は僕をハメたみたいな感じでした。
初めてみた兄貴のデカチンコは友人と長さは同じ位でしたが、太さは桁違いで、
コーヒーのロング缶と長さも太さも全く同じサイズでした。
結局この極太デカチンコをブチ込まれそうになった友人が、
僕を身代わりにウケとして仕込み、
兄貴の性欲処理道具として差し出す事で、
自分のケツ穴を凶器のような極太デカチンコから守ろうとしたようでした。
友人の策略に引っ掛かった僕ですが、
友人に既に性欲処理道具としての快感を仕込まれた僕は、
ケツ穴に火箸を押し付けられるような痛みも我慢して極太デカチンコを根元まで呑み込んでいました。
兄貴は四ン這いにした僕の腰を、
土方仕事で鍛えたガッシリとした腕で逃げられないように掴み、文字通りズボズボと音がする程突きまくりました、
すると痛みに半泣きになった僕の体の下に友人が潜り込み、
僕のチンコをフェラしはじめ、痛みと快感を与えられながらも、友人のフェラの快感に絶頂を迎え、ザーメンを友人の口に放出しだすと。
兄貴が『おお、いいぞ!ケツが締まって痙攣しだしたゾ!』
『ほら、出すから一滴残らずケツ穴締めて絞り取れ!』といいながら、
ザーメンを種付けされました。
その後は、毎日のように兄貴の極太デカチンコの性欲処理をさせられました。
兄貴とは、五年程で友人の土建屋を辞めて田舎へ帰ってしまうまで続きましたが、
兄貴は辞めて行く時に、土建屋の後輩達に
『金がなくて風俗行けない時は、こいつに世話をして貰え!』と
性処理便器の僕を引き渡して行きましたので、
兄貴がいなくなってからは、三人の後輩達と友人の四人の公衆便所として使われていました。
15年程前に土建屋が潰れてしまい、
それからは友人だけと性欲処理を初めの頃のように続けてきましたが、
その友人も数年前に遠方に越してしまい、僕のケツ穴は誰にも使って貰えません。
ノンケ同士でも有り余る性欲を処理する為には、こんなエロい事をしてるんです。
ウケとして仕込まれたケツは今でもチンコの味を思いだしウヅいてしまいます。
タチ役だった兄貴や友人にとって僕は、女のオマンコの代用品だった訳ですから、
その後、普通に結婚していますが、
僕は女といくらオマンコをしても、
ケツにチンコを突っ込まれる欲望が消えません。